Hello,童鞋们,经过前三章的学习,有没有觉得大社会环境下引发的这些词汇很有意思呢?
大家的小脑袋瓜也不要停止思考哟!
今天我们继续学习第四弹!!!!!!
戻れないのを、楽しみたい
ギターを片手に、うなるように、そしてたたきつけるように叫び歌う――。半世紀におよぶ活動の中で、いつしか友川カズキには「絶叫する哲学者」という異名がついた。
秋田から集団就職で上京後、日雇い労働の現場や安宿、酒場などを渡り歩いて多くの人生を見つめ、詩人、画家、競輪愛好家といった多彩な顔も持つ。
70歳を迎えてすぐに、慣れ親しんだ日常は一変した。ライブの開催もままならない。だが「昔に戻りたいなんてアホなこと、思わないようにしてるんです」。昨夏の取材で、歌手はそう語った。人生は最高の遊び場でもある。だからこそ、この「いま」を遊び抜きたいのだと。
自分では携帯電話も持っていないが、スタッフの力を借りながら初のオンライン配信にも取り組んだ。画面を通じて聞こえる「絶叫」は、ステージ上と比べ、いささかも劣るところがなかった。
今年に入り、療養のため歌手活動は休止中。けれど「もうちょっと、飛沫(ひまつ)を飛ばしたいのよ」と語る「哲学者」の歩みは、災禍のただ中にある現在、その後の新しい世界に向けて進んでいる。
今こそ、芸術的な充電を
バッハ演奏の世界的権威。年以来、自身創設の古楽団体「ドイツ?バッハ?ゾリステン」と頻繁に来日した。「訪れていない県は、ないんじゃないかな」
昨年3月、歳の誕生日を迎えた。書面での取材に応え、コロナ禍で舞台に立てない日本の演奏家たちを思いやり、「芸術的な充電ができるまたとないチャンスです。楽しく毎日を送ってください」と悠々たる境地を示すメッセージを寄せた。
幼い頃、病気の後遺症で発声障害になり、歌うことや話すことが困難になった。オーボエの練習で呼吸法を身につけ、やがて障害も克服した。第2次大戦で徴兵され、ロシアで足に弾を受けたが、運ばれた病院の医者が偶然にもフルート奏者。病室でこっそり二重奏に興じて心を通わせていたら、軍隊に戻らなくていいように取りはからってくれた。「私の人生は音楽に救われてきたようなものです」
この1年、これまでの自身の録音を聴き、より良い演奏法を探って試行錯誤を重ねる日々を送っていた。今年3月4日、ドイツ?ボンの自宅で逝去。生涯現役だった。
ケアワーカーをケアしよう
秋本可愛さん(30)は、介護や障害者福祉の現場で働くケアワーカーの採用支援や研修を行う会社を経営する。
ケアワーカーらは高齢者らの感染リスクを少しでも減らそうと、私生活で外出を控えるなど我慢の生活を続けている。そんな生活も1年以上続き、最近になって「さすがに疲れてきた」という声も相次ぐようになった。
ケアワーカーらの努力が世の中にきちんと伝わっているのか。コロナ禍の最前線に立つのに、医療従事者らに比べ、共感が広がっていないのではないか――。流行が長引く中、ケアする人々に何らかの支援を届けたい。そんな思いから、秋本さんは「#ケアワーカーをケアしよう」というプロジェクトを立ち上げた。
賛同した企業に商品やサービスを提供してもらい、それをケアワーカーに届ける。化粧品メーカーや家事代行サービス運営会社など、賛同企業は徐々に増えている。
商品などを配送する費用はクラウドファンディングで募っている。締め切りは4月26日で、目標金額は万円。「ケアワーカー自身の気持ちや暮らしを、ほんの少しでもケアすることにつなげたい」。
これって実はチャンスなのかも
コンテンポラリーダンスの本場イスラエルで、独自の身体メソッド「GAGA」を開拓したオハッド?ナハリンのカンパニーに所属。パリコレにも出演するなど、世界各地で縦横に活動の幅を広げてきた。
しかし、コロナ禍で予定されていた公演はすべて中止に。そもそも踊ることは柿崎さんにとって、社会とのつながりを実感できる唯一の手段だった。それがなくなり、「不要不急」とまで言われ、「私は社会と何も関わっていない存在なんだ、と途方もない孤独に陥った」。
しかし、日本で稽古場を見つけ、こつこつと創作を続け、ふと気付いた。「普段は全く別の場所で、それぞれの生活をしている人々がいま、同じ状況に陥り、同じ経験をシェアしている。これって実は、より多くの人と心でつながるチャンスなのかも」
本当の「敵」はウイルスではなく、大切なものを未来へとつなぐことを諦める己の心だと思い知った。「踊りは私たちが私たちらしくあるために必要なのだと、今は胸を張って言えます」
次の電柱目指して走る
大阪府内の病院で救命救急医として働く犬養楓さん(34)は、昨年暮れにこの短歌を詠んだ。新型コロナウイルスの感染者が急増し、「第3波」の渦中にいたころだ。
何度もやってくる波。終わりの見えない闘いの中で、困難を乗り越える力となる言葉を探したとき、幼い頃に母から教わったマラソンのたとえが心に浮かんだという。「コロナに限らず困難に直面したとき、いつもこの言葉を思い出し、少しずつでも前に進む原動力となってきました」と犬養さんは振り返る。
「大きな第3波を超える波などもうない」と思っていた矢先、さらに大きな波が目の前に現れた。4月7日、大阪府は「医療非常事態」を宣言、15日現在、府が確保している重症病床の使用率は実質的に%を超えている。「自分にできるのは、目の前の患者さんを治療して良い状態にして、ベッドを空けていくこと」。今も、この歌を胸に日々診療にあたっている。
方法論はそれぞれ違っても、「コロナ収束」というゴールはみな一緒だ。ゴールテープはまだはるか先のように思えるが、一人ひとりが身近な目標に対して一歩一歩進んでいくしかゴールにたどり着く方法はない、と考えている。
この歌を含め、一昨年暮れから今年の年明けまで、コロナ禍で詠んだ首を歌集「前線」(書肆侃侃房)にまとめた。「短歌を通してあともう一踏ん張り、一緒に頑張ろうというメッセージを送りたい」。
第四弹的学习今天就到这里了哦!希望大家继续努力,往更好的方向去奋斗吧!
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