TUhjnbcbe - 2022/5/18 15:17:00
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abura
C先生への手紙1|宮本百合子
雑信(第一)
C先生——。 其後は大変御無沙汰致して仕舞いました。東京も、さぞ暑くなった事でございましょう。白い塵のポカポカ立つ、粗雑なペンキ塗の目に痛く反射する其処いらの路を想像致します。御丈夫でいらっしゃいますでしょう。C老师:自上次后真是好久不见了。东京一定也热起来了吧。我想象着从那里走过的路,白色的尘土闪闪发光,粗糙的油漆反射出刺眼的光芒。您身体还好吧? 此間中から、私の思って居る種々の事を申上度いと思って居りましたが、つい延び延びに成って仕舞いました。決して忘れて居たのではございませんが、近頃、私の生活の上に起った変動は、非常に大きく私の精神上に波動を与えました。決して混乱ではございません。が、その大きく力強い濤が、勇ましく打寄せて、或程度まで落付いて仕舞うまで、私は口を緘んで、じっと自分の*の発育を見守って居たのでございます。这段时间,我一直想把自己的种种想法告诉你,但最后还是一拖再拖。我并不是忘记了,只是近来生活上发生的变动,给我的精神造成了很大的波动,但它绝不是混乱。而那浩荡有力的波涛汹涌而来,直至平息,我都始终缄口不语,只专注于自己灵*的成长。 家を離れて来てから、時間としては、まだ僅か半年位ほか経っては居りません。离家至今虽然仅半年时间。 けれども、海を境にして、私の「彼方」でした生活と、今「此処」で為る生活との間には、殆ど時間が測定する事の出来ない差がございます。眼が少しは物象を見るようになりました。耳が微かながら、箇々の声を聴くようになりました。つまり、私は漸々自分に生きて来たのでございましょう。真個に足を地につけて、生き物として生き始めたとでも申しましょうか。今までの私は、生きると云う事を生きて来たのだと申さずには居られません。但是,我以海为界,在“彼方”的生活和现在在“此处”的生活之间,有着无法用时间来衡量的差距。我开始能够用眼睛辨物象,用耳朵去倾听每个人的声音。可以说,我渐渐活出了自我,以充满生命力的状态认真地生活着。如今的我,是为了活着而活着的。 概念と、只、自分のみの築き上げた象牙の塔に立て籠って、ちょいちょい外を覗きながら感動して居りました。従って、私は何に感動して居るのか、又するべき筈だかと云う事、又その感動の種類は大抵分って居りました。ところが、人間が活きて動いて居る世の中はなかなか其那、整然たるものでもなければ、又其程、明るいものでもございません。我过去把自己关在自我构筑的概念象牙塔里,不时地向外窥探,并为之感动着。因此,那时的我将需要感动及应该感动的事物分得清楚明白。然而,人类生存的世界既没有那么地有条有理,也没有那么光明灿烂。 人と人と鼻を突き合わせて見ると、何と云う人臭さが分る事でございましょう。 人間の醜さ、人間の有難さ、其は只、彼等の仲間である人間のみが知る事を得ます。 頭を下げても下げても、下げ切れない程、あらたかな人の裡には、憎んでも憎み切れない或物が倶に生きて居ります。人与人鼻息相合,气味自明。人之丑陋,人之可贵,只有关系亲密的人才清楚。那些非凡的人,即使将头低到无法再低的地步,心中仍有无解的恨。 苦笑するような心持は、十や十一の子供には分らない心持ではございますまいか。他们强颜欢笑的心情是当初那个十来岁的孩子无法理解的。 丁度、雨にそぼぬれた獣物が、一つところにじっと団り合って、お互の毛の臭い、水蒸気に混って漂う息の臭いを嗅ぎ合うような親密さ、その直接な——種々な虚飾や、浅薄な仮面をかなぐり捨てて、持って生れた顔と顔とで向い合う心持は、私の今まで知らなかった、其れで居て知らなければならない事だったのでございます。被雨淋湿的动物们会相互抱团,彼此皮毛的气息在飘散的氤氲水汽中交换。在嗅着彼此气息的直接亲密中,他们舍弃伪装,抛却面具,互相展现最真实的面目。这是我现在才知道也必须要知道的事情。 私は、アメリカへ来たから斯う成れたのではございません。場所の何処に拠らず、私を総ての掩護から露出させた圏境に依ります。我并不是因为来到美国后变成这样的。正是由于边界的存在,使我无论在何处,都能得到完全的保护。 嘗て知らない苦労にも会いましょうし、光栄も感じます。その種々相を透して、さながら、プリズムの転廻を見るように、種々雑多な人間性が現われて参ります。我经历了从未有过的艰辛,却也倍感荣幸。通过这些不同的经历,就像看一个棱镜旋转一样,看出了各种不同的人类品性。 その一色をも逃すまいとして、私はどんなに緊張して居りますでしょう。目前に現われて居るのは、本の上に印刷された理論的な文字ではございません。生きて、光線の微分子とともに動いて居ります。だから、一寸でもじっとしては居りません。今出たかと思うともう消えます、同じ物が再現したかと思っても、其の微妙な色彩の何処にか、必ず変化が来て居ります。其が、完く、泣虫寺のおしょうの見たように踊り廻り、とっ組み合い、千変万化の姿態で私の前に現れます。为了不放过一抹颜色,我是多么紧张啊。眼前所见,并不是印刷在书本上的理论性文字。它们是有生命的,并随着光线的微分子而运动。因此,它们不会一动不动地在那里。当我以为它已经出现的时候,它又消失了。甚至当个我认为同样的东西已经重新出现,但在它那微妙的色彩中的某个地方,总是有变化的。它们在周围跳舞,互相争斗,就像泣虫寺的和尚所做的那样,以众多不同的姿态出现在我的面前。 その一つ一つに、何か不具なところが在るように思われます。この不具は、存在の全部を否定するものではございませんが、兎に角、何か不具なところがある。そして、時々其が激しく油を切らして軋み合います。其中每一个都有什么不完美的地方。这个不完美并不能否定它的全部存在,但不管怎么说,它确实有不完美之处。而且,有时会发生剧烈的反应,发出嘎吱嘎吱的响声。 その恐ろしい騒音は、地上の何処へ行っても聴えるものではございますまいか。 其と同時に、此の騒音の最中から、何等の諧調を求めて、微かながら認め得た一筋の音律を、急がずうまず辿って行く、僅かながら、高く澄んだ金属性の調音も亦、天の果から果へと伝って参ります。这可怕的噪音,想必无论走到哪里都能听到。与此同时,一种高而清晰的金属音从天空的一端传到另一端,追求着某种谐调,遵循着一种微弱可辨的曲调,但不急于求成。 日本にも馬鹿は居ります。アメリカにも大馬鹿が居ります。日本有傻瓜。美国也有大傻瓜。 粛かに心を潜めて思う真心の価値は、其を表現する言葉の差で違うべきものではございますまい。 誰も、我が国、我国と怒鳴りながら、大汗を掻いて騒ぎ立てないでも好ろしゅうございましょう。又誰も、「彼国」彼の国と指差しながら、周章ふためいて、喚きながら馳けずり廻らないでも好いのではございますまいか。我们在心中庄严地思考真诚的价值,这价值不应该因为我们用来表达的语言的不同而有所不同。没有人应该大汗淋漓,大吵大闹地高喊“我的国家”或“我们的国家”。也没有人应该指着“他的国家”而耀武扬威到处跑,大喊大叫。 矢鱈に興奮許りしても、人間の*が浄められるものでもございますまい。 人間を創る者は人間でございます。創った人間を量る者も亦、人間でございます。 心が、真実に豊かでありとうございます。その悠久な真実さが落付いて人間の種々相を観て慾しゅうございます。就算兴奋得一塌糊涂,也无法净化人的灵*。创造人类的是人,衡量人类的也是人。让心灵在真理中得到丰富。我想看到人类的各个方面都有其永恒的真实性。
翻译:YUKI
校对:嘻嘻
朗读:
线上日语朗读、听译活动持续报名中
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